日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年2月17日金曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(2)
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・18~27頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
《古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民》
《古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民》
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
初期農耕牧畜民(前1万2000~7000年)
《近東の地理》
食料の供給は人が生活するのに不可欠のものであるが、
自然環境や土地ごとの地理に左右されるところが大きい。
近東は五つの海をもつ土地と呼ばれているとおり、
地中海、黒海、力スピ海、ぺルシア湾、紅海に囲まれている。
しかしながら、この地域での人間生活にとって、
海は陸ほどには大きな影響力をもっていない。
近東の地形は実に多様である南イラクには湿原があるし、
ヨルダン、シリアには玄武岩砂漠、そしてイランには万年雪が残る山まである。
それぞれの環境には異なった植生が発達しており、
住んでいる人たちも土地ごとにさまざまな生活様式を採用している。
この地域で共通している地理的な様相というのは、ほとんどなく、
ただ一つ重要な点をあげれば夏に雨が降らないことくらいである。
さまざまな居住環境が近接しているわけで、
したがって、違った生活様式がお互いに接触を保つことにもなる。
このことが考え方を相互交換させ
古代の近東で技術・科学・社会が大いに発展した要因の一つだったのでないだろうか。
《地質》
かつて地殻は、ゴンドワナ、ローラシアという二つの大陸と海洋とによって形成されていた。
それが、2億年ほど前、分裂し始め反対方向に移動を開始した。
両大陸の間にはテーチス海が産まれ、厚い海成堆積物がたまることとなった。
両大陸は離れるにつれいくつかの小さな海洋「プレート」に分かれていった。
プレートは相互に移動し、現在近東の主要な地形的要案を形づくることとなった。
アラビアプレートがイランプレートの下に潜り込み押さえつけられた結果、
ぺルシア湾とティグリス、ユーフラテス川の流れるメソポタミア低地がつくりだされた。
この動きは一方で、メソポタミア北東部を平行に走る急峻なザグロス山脈を押しあげた、
トルコ民南部のタウルス山脈も同様で
アフリカプレートがトルコプレートの下に潜り込んだ際に形成された。
紅海はアラビアプレートとアフリカプレートの分離によって生じたものであるが、
これらのプレートはかつて古ゴンドワナ大陸の一部であった
アラビア・ヌビア地塊を構成していたものである。
アラビアプレートのこうした動きは北方でもおこり、
アカバ湾から北にアラバ涸谷、死海、ヨルダン渓谷がつらなる地溝帯をつくった。
こうしたプレート間の厳密な接点がどこなのかはまだわかっていない。
それらは複雑に入り組み構造的には弱い地形を形成している。
そのようなところでは地震や火山活動が活発で、
場所によっては玄武岩や黒曜石(火山ガラス)といった
火山成の岩石が広い地域をおおっていることがある。
近東の地表をおおう岩石のほとんどは堆積岩である。
それらには石灰岩のように海底で生成したものや、
砂岩や泥岩のように再堆積した浸食岩などがある。
堆積作用は現在も統いており、
その結果、たとえば、アラビア半島の大部分は砂丘におおわれているし、
河川流域や内陸盆地は山塊が侵食され、
河川で運ばれてきた沖積土で埋めつくされている。
アラビア半島の西瑞やシナイ半島、そしてイラン、トルコ山地の
一部の露頭のみが古い地形であって(貴重な鉱物を含む)火成岩が容易にえられる。
「メソポタミアの初期農耕牧畜民」
「ゴンドワナ、ローラシア」
「テーチス海」
「ティグリス、ユーフラテス」
「アラビア半島、シナイ半島」
「アカバ湾、アラバ涸谷、死海、ヨルダン渓谷」
「ザグロス山脈、タウルス山脈」
「図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア」
最新の考古学的発掘の方法
「図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア」
「メソポタミア」
「シュメル=シュメール」
「ウワイト」
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2012年2月16日木曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(1)
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・18~27頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
《古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民》
《古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民》
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
初期農耕牧畜民(前1万2000~7000年)
《遠い過去》
過去に関する証拠は断片的である。
考古学的証拠として残るのは、人類の活動のほんのわずかの部分でしかない。
大部分は不明で知りえないままになっているのである。
だが、そうして残ってきた証拠によれば、人々は何千年もの間、
いくつかの点でほとんど変わっていないことに気づく。
たとえば、先史時代の人々にも、
今の私たちと同じ感情や動機といったものが備わっていたことであろう。
そうした特徴は人間を動物から区別するものであり、
長い進化の道のりにおいて、ある時点で発展したものである。
実際には、人間がもっている特徴の多くは、動物の世界にも共通点がある。
たとえば、アりやイモムシ、アリマキなどは「都市」をつくって生活しているし、
人間のように状況に応じて社会的な役割を変えようともする。
しかし、人間がこれまで発達させてきたほど多彩な技術を身につけている種は他にはいない。
動物でも重要な情報なら伝達するコミュニケション・システムを多少はもっているけれども、
人間の会話能力というのは、
みるからにどうでもよいことから必要不可欠の知識に至るまで、
実に幅広いことを伝達しうるものなのである。
また、動物によっては簡単な道具をつくったり、使ったりできるものもいるが、
人間は、それなしでは生きられないほど、道具に頼りきっている。
会話能力も道具づくりも文化を通して伝えられていく。
つまり、前の世代から学んでいくわけである。
文化が生きていくうえでいかに役立つものだったかは、
今から3 万5000 年以上も前、
後期旧石器時代が始まるまでに人類が実に広い地域に拡散していたことを
みれば明らかである。
一般に、石器時代人といえば、皮の服を着て洞窟に住み、
棍棒を振り回しているというイメージが湧くが、これは偏った見方である。
実際には、彼らはたいてい小さな集団をつくって住んでいたのだし、
木の根、木の実、葉っぱ、イモムシなどをとって生活していたのであり、
大きな動物を捕まえる方が少なかったのである。
こうした生活様式は世界中に広がつており、何十万年もの間、うまく機能していた。
現在でもぞういう地域はたくさんある。
ところが、約1 万2000年前、最終氷期の終わりに海水面が上昇を始めると、
近東の人々は新しい食料調達法をみつけだした。
それは、まず動植物の栽培・飼育、ついでその馴化であった。
このやリ方は今ではあまりにも一般的すぎて、
これ以外、人が生きていく術はないのではないかとさえ思われる。
農耕は近東で発展した後、またたく間にヨーロッパ、アフリカアジアへと広がった。
それから、わずか2000 -3000 年の間に、
何百万年も狩猟採集を続けてきた人々が定住村落民へと変容してしまったのである。
農耕牧畜が始まると、他の面でも重要な変化が生じた。
家は恒久的なものになり、村落を形成するようになったし、
人々は新しい資源を使って新しい技術を閉発するようになった。
金属加工、土器製作、石の彫刻などがそれである。
社会組織も徐々に新しいものになっていき5000 年以上も前に、
ついに都市、支配者層、国家宗教、文字体系といった現代文明の基本要索がでそろったのてある。
農耕、都市という生活形態は近東からヨーロッパへ伝わり、
そこでギリシア・ローマを経て現代文明の部を形つくるようになった。
旧世界の他の地域でも農耕が発達したところはあるが、近東との関係はあまりはっきりしない。
ただ、農耕という概念自体は究極的には近東から由来した可能性は非常に高い。
農耕や複雑な社会組織は何千年か遅れてアメリカ大陸でも独自に生まれている。
しかし、近東での事例は最古である点、
そして現代文明の祖先となったという点でとりわけ重要である。
「旧大陸における農耕の拡散」
オオムギ、コムギの栽培化は前7000年よりも少し前に成し遅げられた。
しばらくはメソポタミア周辺の丘陵地に限定されていた。
しかしながらその2000年くらいの間に
カスピ海沿岸部からインダス川流城の西部に分布が広がる。
そして前5000年は、おそらく畜獣を使った犂式技術とともに、
ヨーロッパ、エジプト、インダス全域にまでいきわたった。
中国北部や東南アジアでは別の作物である雑穀と米が栽培化された。
さらに続く2000 年間には、農耕は旧世界では、あたり前の生活様式になった。
ロシアやアフリカ地域では依然として遊牧民が生活していた。
「メソポタミアの初期農耕牧畜民」
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『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・18~27頁
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古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
初期農耕牧畜民(前1万2000~7000年)
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過去に関する証拠は断片的である。
考古学的証拠として残るのは、人類の活動のほんのわずかの部分でしかない。
大部分は不明で知りえないままになっているのである。
だが、そうして残ってきた証拠によれば、人々は何千年もの間、
いくつかの点でほとんど変わっていないことに気づく。
たとえば、先史時代の人々にも、
今の私たちと同じ感情や動機といったものが備わっていたことであろう。
そうした特徴は人間を動物から区別するものであり、
長い進化の道のりにおいて、ある時点で発展したものである。
実際には、人間がもっている特徴の多くは、動物の世界にも共通点がある。
たとえば、アりやイモムシ、アリマキなどは「都市」をつくって生活しているし、
人間のように状況に応じて社会的な役割を変えようともする。
しかし、人間がこれまで発達させてきたほど多彩な技術を身につけている種は他にはいない。
動物でも重要な情報なら伝達するコミュニケション・システムを多少はもっているけれども、
人間の会話能力というのは、
みるからにどうでもよいことから必要不可欠の知識に至るまで、
実に幅広いことを伝達しうるものなのである。
また、動物によっては簡単な道具をつくったり、使ったりできるものもいるが、
人間は、それなしでは生きられないほど、道具に頼りきっている。
会話能力も道具づくりも文化を通して伝えられていく。
つまり、前の世代から学んでいくわけである。
文化が生きていくうえでいかに役立つものだったかは、
今から3 万5000 年以上も前、
後期旧石器時代が始まるまでに人類が実に広い地域に拡散していたことを
みれば明らかである。
一般に、石器時代人といえば、皮の服を着て洞窟に住み、
棍棒を振り回しているというイメージが湧くが、これは偏った見方である。
実際には、彼らはたいてい小さな集団をつくって住んでいたのだし、
木の根、木の実、葉っぱ、イモムシなどをとって生活していたのであり、
大きな動物を捕まえる方が少なかったのである。
こうした生活様式は世界中に広がつており、何十万年もの間、うまく機能していた。
現在でもぞういう地域はたくさんある。
ところが、約1 万2000年前、最終氷期の終わりに海水面が上昇を始めると、
近東の人々は新しい食料調達法をみつけだした。
それは、まず動植物の栽培・飼育、ついでその馴化であった。
このやリ方は今ではあまりにも一般的すぎて、
これ以外、人が生きていく術はないのではないかとさえ思われる。
農耕は近東で発展した後、またたく間にヨーロッパ、アフリカアジアへと広がった。
それから、わずか2000 -3000 年の間に、
何百万年も狩猟採集を続けてきた人々が定住村落民へと変容してしまったのである。
農耕牧畜が始まると、他の面でも重要な変化が生じた。
家は恒久的なものになり、村落を形成するようになったし、
人々は新しい資源を使って新しい技術を閉発するようになった。
金属加工、土器製作、石の彫刻などがそれである。
社会組織も徐々に新しいものになっていき5000 年以上も前に、
ついに都市、支配者層、国家宗教、文字体系といった現代文明の基本要索がでそろったのてある。
農耕、都市という生活形態は近東からヨーロッパへ伝わり、
そこでギリシア・ローマを経て現代文明の部を形つくるようになった。
旧世界の他の地域でも農耕が発達したところはあるが、近東との関係はあまりはっきりしない。
ただ、農耕という概念自体は究極的には近東から由来した可能性は非常に高い。
農耕や複雑な社会組織は何千年か遅れてアメリカ大陸でも独自に生まれている。
しかし、近東での事例は最古である点、
そして現代文明の祖先となったという点でとりわけ重要である。
「旧大陸における農耕の拡散」
オオムギ、コムギの栽培化は前7000年よりも少し前に成し遅げられた。
しばらくはメソポタミア周辺の丘陵地に限定されていた。
しかしながらその2000年くらいの間に
カスピ海沿岸部からインダス川流城の西部に分布が広がる。
そして前5000年は、おそらく畜獣を使った犂式技術とともに、
ヨーロッパ、エジプト、インダス全域にまでいきわたった。
中国北部や東南アジアでは別の作物である雑穀と米が栽培化された。
さらに続く2000 年間には、農耕は旧世界では、あたり前の生活様式になった。
ロシアやアフリカ地域では依然として遊牧民が生活していた。
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2012年2月15日水曜日
古代のメソポタミア:近東の考古学(3)
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・14~16頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
《古代のメソポタミア:近東の考古学》
《古代のメソポタミア:近東の考古学》
古代のメソポタミア:近東の考古学
「写真」年輪年代法・樹輪年代学
とも呼ばれる。
1年に成長する年輪の幅は天候に左右されるため、
長期にわたる年輪をみると幅の広い、狭いのパターンがはっきりわかる。
現在、生えている木々から始めて9000年以上も前の木まで、
年輪をつなく作業がなされている。
古代の木片がみつかった場合、その年輪をそうした変遷パターン化して、
木片の年代を決めるわけ、
しかしながら変遷パターンごととに異なっている。
近東でもが確立されれば、非常に有効な測定法になると思われる。
年輪は放射性炭素年代の補正にも利用される。
「図」放射性炭素年代を暦年代に変換するための年代補正曲線の一部
「放射性炭素年代」
放射性炭素年代は遺物の年代が測れるため、客観的な時間の物差しを提供してくれる。
生きている植物や動物は大気から二酸化炭素まを吸収しているが、
それには14Cを放射性同位元素を含んでいる。
これは一定の割合で減衰するもので、半減期は5750年である。
つまり、生物が死ぬと.5750年ごとにその14C原子は半分になっていくのである。
だから、物の年代を知るためには、それに含まれている14Cの量を測定すればよい。
測定結果は4500±100b.p. というように示される。
これは、平均値は紀元1950 年よりも放射性炭素年代で4500 年分前で、
測定誤差の標準偏差が100 年という意味である。
しかしながら、大気中の14Cの量は待代によって一定ではなかったので、
暦年代を知ろうとすると補正をしなくてはならない。
補正曲線は年輪年代法で年代のわかっている木材を測定して、求められたものである。
これによると、放射性炭素年代は最高1000 年も若く出ている。
たとえば、4500±100b.p. (つまり前2550 年)という放射性炭素年代は、
暦年代でいうと3 分の2 の確率で前3360 - 2930 年、
20 分の19 の確率なら前3520 -2910 年に相当する。
簡潔にするために、本書ではすべての年代は暦年代に補正し、
バラッキの平均値を示すことにした。
「絵」発掘作業
発掘では、まずつるはしで土を崩し、スコップや鍬で集め、バケツにつめて捨てにいく。
人力だけでなく、一輪車やベルト・コンべヤ、トラックなどの機械力も
使われるようになってきている。
日干しレンガや床の上面を追っていくときなど、
ていねいな発掘をする際には小形のピックやこてが役立つ。
壊れやすい物や骨を慎重に清掃するには
ナイフ、メス、カクテル・ステイック、歯科用ピック、絵筆などが使われる。
ふつう考古学者は自分専用の道具をひとそろいもっているものだ。
つるはし・スコップ・鍬・ゴムバケツ・小形ピック・手ぼうき・絵筆・
メス・歯科用ピック・ピンセット・こて・フルイ・水準器・測量棒・巻尺
「絵」近東のテルの発掘は複雑な仕事であり、
発掘者の側にも層の達いを読み取るためのかなりの技量が要求される。
古い堆積物は、新しい堆積物におおわれているか、またはこわされている。
層序を注意深く観察することによって、
堆積の順番を正しく読み取っていかねばならない。
もし時代の新しい掘りこみをみのがしたり、
自然な堆積を間違って同定したりすると、
時代の異なる遺物が混ざってしまうことになり、
間違った結論を導いてしまうこともありうる。
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2012年2月14日火曜日
古代のメソポタミア:近東の考古学(2)
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《古代のメソポタミア:近東の考古学》
《古代のメソポタミア:近東の考古学》
古代のメソポタミア:近東の考古学
「写真」テル・マルディフでの発堀風景
写真中央には石の土台の上に並ぶ日千しレンガの壁がみえる。
この壁の右端は大きな穴で壊されている。
発掘区の端に何本かみえる分厚い黒い線として現れているのが、その穴である。
理想をいえば、遣跡では古い層に取り組む前に、
もっとも新しい層から順にはぎ取っていかねばならない。
しかし、このやり方は時間がかかるし、難しいし、費用もかかる。
よりコストが少なくてすむやり方は、すばやく掘り下げて、
その後で発掘区の壁を検討し、何を発掘したのかを調べることである。
「写真」北シリアのテル・フエラ
えられるデータを最大限に活用するために発掘にあたっての綿密な計画が必要である。
今日の考古学者は非常に明確な目的をもっており、
明らかにしようとしている問題も具体的である。
発掘区の場所を設定するのにも、調査団メンバーの間で十分に議論を交わす。
しかし、地面の下はみえないわけだから、結果は予測できないことが多い。
「写真」テル・マルディフ(古代名エブラ)
小形ピックとブラシを使って、シリア人作業員が土器片を取リ上げているところ。
土器片は黒のゴムバケツに入れている。
土器は後で洗って調べ、記録をとる。
個々の土器の出土位置に注目することによって、
異なった土器型式間の年代関係について細かい見通しをえることができる。
「写真」
炭化した植物種子を回収するもっとも簡単な方法は、
掘りあげた土を水の入った大きな入れ物に入れて、かきまぜることである。
そうすると、炭化種子は浮き上がってくる。
それを何種類かの大きさの違うフルイですくい、乾燥させる。
その後で分類・同定を行う。
「写真」
フルイをかけるのは、遺物を傷らないように集めるためで、
これは後の定量的研究のためには欠かせない手統きである。
さらさらの土ならば、乾燥したままでフルイがけできる。
しかし、固まった土は水で溶かしてからやったほうがよい。
フルイをかけるのは一部の土のみである。
「写真」
ヨルダン砂漠のある遺跡で、考古学者が遺物を採集して位置を図面に記録しているところ。
辺境地城には、遊牧民の短期的な野営地、フリント石器製作跡、
あるいは石器だけを残して他は風で完全に侵食されてしまった遺跡などみつけにくい遺跡が多い。
「写真」ヨルダン、アイン・ガザル遺跡
遺跡から出土した一連の人物土偶の土を取りき固めているところ。
無土器新石器時代(前7000 年頃)のものである。
これらは葦を芯にして粘上でつくったもので、非常にもろかったため、
一括して取リ上げ、研究室に運びこまれた。
そこで、ていねいに洗浄し、
保存のために化学的凝固剤をしみこませる作業が行われた。
「フリント石器」
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2012年2月13日月曜日
古代のメソポタミア:近東の考古学(1)
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《古代のメソポタミア:近東の考古学》
《古代のメソポタミア:近東の考古学》
古代のメソポタミア:近東の考古学
《近東の考古学》
古代の近東に関する私たちの知識は、
そのほとんどがここ数年ほどの間の考古学調査によってえられたものである。
今世紀の考古学者が関心を寄せていたのは、
主として、ヨーロッパの博物館に展示するための骨董品を発見することだった。
その後、考古学は、
何年もの専門的かつ学術的な訓練をするような一つのサイエンスへと成艮した。
発掘法や記録術も十分に工夫され、最大限の情報を引き出すことができようになっている。
しかし,想像や運というものが関与する部分もある。
考古学遺跡の発掘というのは複雑な作業であって、多くの専門家の協力を必要とする。
調査全体を指揮する団長のほか、発掘の見回りや記録を担当する考古学者、
みつかった建物の図面をつくる測量係、図面係、遺物の記録をする登録係、
もろい遺物や壊れた遺物を固めたり修復したりりする保存係などが必要だろう。
発掘では、文字どおり何十万という土器片やフリント片、動物骨などを
調べたり記録したりしなければらないのがふつうだ。
土壌の専門家、金属の専門家、化学地質学者、コンビューター・プログラマー、
統計学者なども、考古学者の手助けをするようになりつつある。
遺跡を発掘するだけでなく、考古学者は周辺一帯の自然環境復元も試みる。
また、概観調査、つまり、
一定地城内で地表に現れている古代文化の痕跡を記録していく調査も行う。
それは.その地域の集落史を明らかにしたり、
後で発掘するための遺跡を選定したりするのに有効である。
考古学者がもっとも関心を寄せていることのーつは、
みつけた事物の年代を決めることである。
さまざまな堆積をていねいに調べれば、堆積の順序を明らかにすることができる。
また、一つの地域で用いられている道具の形は、時間とともに変化を遂げていく。
したがって、それらを年代順に並べておけば、
その遺物がみつかった遺跡や地層の年代を決めることができる。
近来においては、彩文土器が過去の文化を研究するための時間的な枠組みを提供してくれる。
また、場合によっては、日食・月食などの天文現象に言及した
歴史文書によって年代を求めることもできる。
一方では、年輪年代法や放射性炭素年代測定法によって、
遺物の年代をみつけもることもできる。
メソボタミア考古学のもっとも特徴的な点のーつは、
古文書、とくに生の粘土板に書いた文書が豊富にあることである。
近東ではこれまでに約50万点の楔形文書が発見されており、
その多くが未発表のままである。
また、地中に埋もれているものはさらに多いはずである。
考古学調査にはお金がかかるため、
最高水準の調査をするのに十分な予算をもった調査団は少ない。
一方、近東で今日行われている急速な農業面・工業面での開発も問題である。
すなわち,毎年、何百という古代遺跡が破壊されているのである。
近東諸国の政府のなかには、この問題を認知し、
川に大形ダムを建設する際に行う大がかりな事前調査に
資金を提供しているところもある。
しかし、年々 、ますます多くの古代遺跡が破壊されており、
その痕跡は永久に失われている。
最新の考古学的発掘の方法
「図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア」
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2012年2月12日日曜日
古代のメソポタミア:序(2)
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア10頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
《古代のメソポタミア:序(2)》
《古代のメソポタミア:序(2)》
古代のメソポタミア:序(2)
本書を書くにあたって念頭においたのは専門家でない読者の方々にもわかりやすくすることで、
専門用語はできるだけ使わないようこころがけた。
それに,相当議論をよびそうな記述であっても、引用文献をあげないことにした。
巻末に短い文献目録をつけておいたが、それは個々の記述の典拠を示すためというよりは、
もっと知リたい方々のための手引きのつもりである。
用語解説の項には、用語や編年の問題についてつつこんだ情報を盛り込んでおいた。
古代近東の研究はまだ始まったばかりである。
アッシリア宮殿の彫像が発掘され、
バビロニアの楔形文字が初めて解読されてからわずか150年しかたっていない。
年々 、新しい発見がなされ、私たちの知識は増していくし、誤った見方は正されていく。
基礎的な研究はまだまだ足リないし、
現在進行中の調査によって古い見解も変えられていくことだろう。
古代の都市には場所がはっきりとわからないものが多いし、
王朝の国境線にも推定で引いたものが多い。
地図にさまざまな可能性をすべて盛りこむことはできなかったので、
多くの場合、可能性の高いものを選んで示すことにした。
そうした同定がどれくらい信頼性のあるものかわかるようにしたものもあるが、
そうでないものもある。
それに、地形の基本的な要素、たとえば古代の河川の流路やべルシア湾の海岸線などについても、
まだ議論されている段階である。
だから、読者の方々も、本書に示した見解は現段階でのーつの解釈なのだということを
心にとめておいていただきたい。
編集委員のニコラス・ボストゲイト氏には多くの御教示をいただいた。
シンジョン・シンプソン氏は原稿を査読して手を加え、
さらに図の説明や文献目録づくりを手伝ってくださった。
ドミ二ク・コロン、ジョルジナ・へルマン両女史にも御礼申し上げたい。
お二人が専門としておられる円筒印章と象牙細工についてのコラムを書くのに、
大いに御助力いただいた。
ジョン・カーチス、デビッド・ホーキンス、およびジエーン、D バート・キリック夫妻、
ロジャー・モーレイ、トレポー・ワトキンスの各氏にも細かい点で助けていただいた。
アンドロメダ・オックスフオード社の編集部の方々はよい本をつくるために努力を惜しまれなかった。
その見事なお仕事ぶリに対して、御礼申し上げる。
最後に、私の家族スーザン、クリストファー、リチャードが寄せてくれた
愛情と激励に対して、心よリ感謝したい。
マイケル・ローフ
最新の考古学的発掘の方法
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