日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年4月13日金曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(15)交易網
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・34~35頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
《新石器時代の村》
「新石器時代の村」
《交易網》
「交易網」
交易,少なくとも物の搬入は新石器時代よりはるか前から行われていた。
前1万5000年頃の遺跡であるワディ・ハサでは、
紅海や地中海から100km以上も運ばれてきた貝類が出土している。
長距離交易は無土器新石器時代にはさらにはっきりしてくる。
それは,黒曜石という火山ガラスを刃物用に使用し始めたことからわかる。
黒曜石は伝統的なチャートやフリントとともに、道具づくりに使われた。
科学分析によって黒曜石の産地が同定され、広範な交易網か明らかにされてきている。
古代近東で使われた黒曜石のほとんどは、トルコ東部ないし中部から運ばれたものだった。
無土器新石器時代には、産地から800km以上も離れた遺跡でも使われるようになった。
ただ、黒曜石が専門の商人によって運ばれたものなのか、
村から村へ伝えられたものなのか、
あるいは大きなセンターから隊商力i派遣されていたのかは、
今の段階ではわからない。
貝類、準貴石、銅、天然アスファルトなども産地から離れた遺跡で発見されている。
他の品物、たとえば塩、織物、皮革、その他の植物製品、
動物製品なども交易されていた可能性があるが、証拠は残っていない。
言語復原史学会
言語復原史学会
言語復原史学会
『参照ブログ』
古代メソポタミア
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
ひねもす徒然なるままに
古代史つれづれ
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿