日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年4月21日土曜日
文明への道(前7000-4000年)(3)チャタル・フユク遺跡
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・43頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
『文明への道』
「文明への道」
『(前7000-前4000年)』
「(前7000-前4000年)」
《チャタル・フユク遺跡》
「チャタル・フユク遺跡」
アナトリア高原には
ハジラル、
スヘルデ、
シャン・ハサンⅢなど多くの遺跡がある。
これらは年代的にも発展段階としても
レヴァント地方の無土器新石器遺跡と類似したものである。
しかしながら、
チヤタル・フユクに匹敵する遺跡はほかにない。
この遺跡は桁違いに大きいし、
しかも保存状態がよい。
面積は12ha以上で、
新石器時代文化層は15mの厚さに達する。
現在のところ、最下層には到達していないが、
放射性炭素年代測定法によれば、
14層にわたる生活面は
おおよそ前6850年から前6300年にわたるもので、
レヴァント地方の先土器新石器時代B期末頃に相当する。
ただ、残念なことに他の遺跡と同様、
チャタル・フユクでも最上層部は激しい侵食を受けている。
言語復原史学会
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