2012年4月19日木曜日

文明への道(前7000-4000年)(1)初期農耕集落



 『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・42頁
     マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
     朝倉書店

 『文明への道

 「文明への道

 『(前7000-前4000年)
 「(前7000-前4000年)

 『初期農耕集落
 「初期農耕集落

 農耕牧畜の技術が発明され、それが広まると、

 近東にはさまざまな種類の集落が現れるようになった。

 土器を使っていること以外、

 日常生活はそれ以前とほとんど変わらない小さな農耕村落もあれば、

 日用品、社会組織ともはるかに洗練された村も現れ始めた。

 こうした進展が積み重なって、

 前4千年紀に南メソポタミアでおこった

 あの都市の形成へとつながっていったのである。

 そして、それは現代社会の基礎となった。

 近東の初期農耕村落は丘陵地やオアシスに位置しておリ、

 川ぞいや湖岸、海岸地域力i好まれていた。

 穀物が生育するには雨量が少なすぎる低地には、

 遊牧民が生活していた。

 収穫の多い年に穀物を蓄えておけば、

 凶作の年にも何とか集団は生き延びることができた。

 しかし、雨量が一定しない土地で農業を試みることは、

 ほかにもっと良い土地があるならば

 割りにあうものではなかった。

 この頃農耕村落の村落の分布は

 今日の天水農耕(灌漑をしないという意味)地帯と非常によく一致している。

 それは、年間降水量が250mm以上の地域に相当し、

 ここ8000年ほど気候がほとんど変化していないことの証左ともなろう。

 エジプトのナイル川は植物の生育期に氾濫するから、

 雨量が乏しくても穀物が生育することができる。

 しかし、近東の他の地域の川は悪いことに春に洪水をおこすため、

 穀物農耕は降雨に頼らざるをえない。

 ただ、運河を掘って潅漑を行うようになると、

 そうした集落の分布パターンは一変する。

 乾ききっていても肥沃な土地に移った方が収穫も多くなった。

 そうして、より大きな集落が存続するようになり、

 最終的には都市へと発展していったのである。

 無土器新石器時代から都市化の始まりまでの発展は、

 土器(ないし後期)新石器時代前・中期金石併用時代にまたかっている。

 一般には、新石器時代金石併用時代の区別は、

 新石器時代に使われていた打製・磨製の石器に加えて、

 金石併用時代には銅および青銅製品も使うようになった点とされている。

 しかしながら,

 銅製品は少量だが無土器新石器時代にすでに用いられていたし、

 一方、金属器がたくさんみつかるようになるのは

 後期金石併用時代になってからのことである。

 小さな農耕村落での日常生活は、この時期を通して、

 どこでも似たようなものだった。

 違いは最古の村落と、それ以前の狩猟採集民との間の方が大きかった。

 現代社会がもつ特徴というのは狩猟採集民の社会にはみられないものであり、

 ある時点で発明されるか発見されたものに違いない。

 そのいくつかは無土器新石器時代に萌芽的ながらみられ、

 土器新石器時代、金石併用時代により洗練され、確立されていった。

 そのような進展が背景となって、

 やがて都市生活が始まることになったのである。

 言語復原史学会
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 『参照ブログ』
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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