日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年4月25日水曜日
文明への道(前7000-4000年)(7)チヤタル・ヒュクの遺物
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・46頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
『文明への道』
「文明への道」
『(前7000-前4000年)』
「(前7000-前4000年)」
《チヤタル・ヒュクの遺物》
「チヤタル・ヒュクの遺物」
チャタル・ヒュク出土の土器はやや不格好で丸形か袋形のもので占められていた。
木製容器には鉢、カップ、箱などがあって、
モミなどの柔らかい木でつくられていた。
打製石器はほとんどI黒曜石製で、
材料はおそらく北東に約150km離れたアジゲルからもってこられたらしい。
黒曜石は磨いてビーズや鏡をつくるのにも用いられた。
道具や武器類の傑作には剣やナイフがあり、
シリアからの輸入フリントでつくったものもある。
第IX層よりも上層では、
銅、鉛がビーズ、ペンダント、リングをつくるのに使われている。
鉛は、銅と比べると自然に産出することはまれだから、
そうした鉛はおそらく鉱石から精錬されたものと思われる。
銅の鉱滓のかたまりもみつかっているから、
銅も精錬されることはあったらしい。
ただ、チャタル・ヒュク出土の銅製品の大半は、
自然の銅を叩いてつくったもののようである。
土偶、石偶のなかでは、肥った女性像がとくに目をひく、
出産中の女性を表したものも一つあり、
両側をネコに支えられているのか、
あるいはネコ形の手すりのついた椅子にすわっているかのようにみえる。
動物のものは、ほとんどが狩猟対象獣で、
ヒョウ、ウシ、イノシシ、野生のヒツジ、ヤギなどがある。
刺された痕のついているものもあるから、
それらは狩猟儀礼に用いられたものとみられる。
アイン・ガザル出土のウシ形土製品にも同じような痕跡が残っている。
言語復原史学会
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