2012年4月26日木曜日

文明への道(前7000-4000年)(8)植物と動物



 『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・46頁
     マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
     朝倉書店

 『文明への道

 「文明への道

 『(前7000-前4000年)
 「(前7000-前4000年)

 《植物と動物
 「植物と動物

 出土した骨からみると、おそらくチャタル・ヒユクの人々は

 食用肉の9割は家畜ウシからえていた。

 イヌもこの頃までには家畜となっていた。

 野生動物のなかには肉だけでなく、皮革目的で狩られたものもあった。

 たとえば

 ヒツジ、シカ、イノシシ、オナガー(野生ロバ)、クマ、あるいは大形のネコ科動物で、

 おそらくライオン、ヒョウなども狩りの対象となっていた。

 栽培植物には一粒コムギ、エンメルコムギ、裸性六条オオムギがあり、

 そしてたぶん六倍種パンコムギもあった。

 この時期の人々は、

 ほかに地域に固有の植物も採集していた出土したもののなかには

 潅漑のもとで生育する種も含まれているが、

 潅漑がどの程度行われていたのかについては議論は一致していない。

 全体に、

 人々の生活に関する科学的証拠は壁画に描かれている情景とは異なっている。

 生活における現実と観念的なものとが分離していることを示しているわけである。

 チャタル・フユクは前7千年紀終わり頃に

 人が住まなくなっている。

 アナトリア地方の次の文化は、

 精巧な彩文土器で特徴づけられ、

 ハジラルやシャン・ハサンIIなどの遺跡から
知られている.しかしながら,前5700年頃までにはこれら両
遺跡も無人になってしまった。

 シャン・ハサン遺跡では、

 火で焼失した生活面の瓦礫のなかから47歳の男性人骨が発見されている。

 この男性には銅製の腕輪と梶棒頭が一つずつともなっていた。

 梶棒頭には本の柄をつけるための穴がまんなかに開いていた。

 これは型を使って鋳造したものであり、

 この種の技術の利用例としては最古のものである.

 前6000年頃までには近東全域で、
 村落生活が確立していた。

 栽培植物、家畜動物のおもなものはすでによく知られていたし、

 それらは今日でもこの地域の主要な食料となっている。

 これ以後の発展は、

 狩猟採集から農耕牧畜への移行時におこったように

 新しい生業様式をみつけだすというものではなく、

 社会的な変化や技術的な洗練にみられる。

 そうした変化は漸新的かつ地域的なもので、

 その最初のものはメソポタミアでおこった。



 言語復原史学会
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 『参照ブログ』
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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