日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年4月14日土曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(16)技術の発達
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・35頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
《新石器時代の村》
「新石器時代の村」
《技術の発達》
「技術の発達」
1983年にナハル・ヘマル洞窟が発掘されるまで、
この時期の篭類、織物、木製品に関する証拠は乏しかった。
葦の敷物や織物の痕がついた天然アスファルト・粘土、発掘とともに
失われてしまう土についた圧痕などがそのすべてであった。
ナハル・ヘマルに残っていた遺物のなかには、
木製の鎌の柄、イグサか草の束を糸でつないでつくった分厚い敷物、
より糸で編んで天然アスファルトを貼った篭があり、
さらに細糸から大き10mmに至るローブなど
さまざまなひも類が粉々になって出土している。
天然アスファルトを貼った篭や容器は他の遺跡からもみつかっている。
石を彫ってつくった容器はよくみつかり、
石彫の腕輪も無土器新石器時代の遺跡ではよく知られている。
他の容器としては石灰と灰をまぜてつくった白色容器があり、
レヴァアント地方の一部では盛んにつくられていた。
ジャルモ遺跡だけでも2000点以上出土している。
メソポタミア地方では、容器はむしろ石膏でつくられる方が多か⊃た。
粘土が容器に使われることもあったが、ふつう土偶用たった。
ガンジ・ダレでは粘土製容器が火事でこわされた生活面から
完全な状態で出土している。
その容器はおそらく生粘土でつくられたものだったが、
村が燃えたとさに一緒に焼けたのだろう。
無土器新石器時代には白色容器や住居の床面に石灰が用いられていたわけだが、
石灰をつくるにはかなりの技量が要求された。
多大な労働力、燃料はもちろん、高温で焼ける窯も必要だった。
石灰をつくるにはまず、石灰岩(CaCO3)をつぶし、
850°Cの温度で数日焼く、
ついで、それをゆっくり冷やして生石灰(CaO)とする。
その後、水をまぜると消石灰(Ca(OH)2)ができ、
それが二酸化炭素にふれると固まるわけである。
その製作は大規模なものだった。
たとえば、チヤユヌでは一つの建物をつくるのに
1.6トンもの石灰が使われている。
テャユメはエルガニ・メイドンの大きな銅鉱石採掘場から
20kmほどしか離れていないところにある。
この遺跡からは、考古学的に古い文化層から
銅製のビーズ、留め針、道具類が100点以上も出土している。
しかし、その他の無土器新石器時代遺跡では銅製品は二、三知られているにすぎない。
たとえばマグザリーヤでは錐が1点(1,000km以上も離れた中央イラン産のものといわれている)、
レヴァント地方のラマド、
イラン南西部のアリ・コシユからはビーズが出土している。
こうした品物は自然にえられる金属銅でつくられたもので、
銅鉱石を精錬したものではないと考えられている。
金属の萌芽的利用、共同作業、職人の専門化、長距離交易、
さらに増大しつつあった宗教の重要性、こういったものはすべて、
無土器新石器時代の集団が文明に向かって
大きな一歩を踏みだしていたことを示している。
言語復原史学会
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