日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年4月17日火曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(18)土器
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・38~39頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
『土器』
「土器」
世界でもっとも古い土器は日本で出現し、紀元前1万1000年にさかのぼる。
近東では3000年ほど遅れて現れるが、影響を受けたのではなく、
別の発明であったことはほぼ確実である。
世界中をみわたすと、土器は定着した村落生活に関連している。
というのは、そのかさやこわれやすさは、
移動的な生活をする多くの採集狩猟民にはなじまないからである。
土器は近東を研究する考古学者にとって、もっとも重要な人工物の一つである。
土器片はこの地域のどの遺跡でもふんだんにちらばっている。
土器は簡単につくれ、またこわれやすい。
こわれたものは再利用されることなく、
ただ捨てられるために、みつかりやすい。
さいわいなことに、焼かれた粘土は消滅することなくどんな条件のもとでも保存される。
風や雨が遺跡の表土を流しさっても、土器片はのこり、
多くの遺跡は厚い土器片の層でおおわれている。
土器の研究によって、まことに多くの情報がえられる。
土器をつくる粘土の鉱物学的構成が異なるため、
科学的分析によ⊃て、粘土の産地が同定できる。
そうした科学的手法を用いないでも、
土器の型式学的な違いをみわけることはたやすい。
粘土に混ぜる混和材の種類は多く、
砂粒、スサ(わらをやわらかくしたもの)、毛などである。
これらは、それぞれの器に顕著な痕跡をのこす。
焼成の仕方も器に大きな影響を与える。
とりわけ、焼成する窯のなかの酸素の多寡が、
土器の色彩を赤(酸化焔)から灰色や黒(還元焔)に変える。
土器の器形は、形や大きさに大きな変異をもたらす。
浅い皿から大形の貯蔵用の壷まである。
成形の方法にもいろいろある。
指先で形づくられるもの、輪積み法や巻上げ法によるもの、
型押し法によるもの、
回転台を利用してつくられるもの(前4500年頃以降)、
ろくろ作りのもの(前2000年頃以降)などとある。
器面調整にも種類がある。
ウェット・スムースと呼ばれる器面がやわらかいうちになでる方法、
化粧土をかける方法、彩文をつける方法、磨研法、
さらに、刻文をつけたり、彫りこんだり、型を押しつけたり、象眼を施したりする。
そして前1500年以降には彩薬をかけたものが出現する。
さまざまな製作法や装飾は、
地域や時代によってそれぞれ特徴をもっているので、
土器を用いて編年ができるのである。
先史時代や利用できる文献史料が
あまり多くない時代を研究するときにはとくに有用となる。
さらに、遺跡の表面にちらばっている土器片によって、
その遺跡がいつの時代に居住されたのかといったことや、
ある地域の集落の様相が時代によって
いかに変化したかといったことまでわかる。
土器はまた交易活動の実態や
文化的影響の有無といったことまで明らかにする。
近東のいろいろな地域での
土器の様式の変遷について太枠はわかっていろものの、
編年をさらに細かくしていくのに、
また古代の土器の製作や分布の詳細を理解するには、
さらなる調査が必要である。
『彩文土器』
「彩文土器」
言語復原史学会
言語復原史学会
言語復原史学会
『参照ブログ』
古代メソポタミア
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
ひねもす徒然なるままに
古代史つれづれ
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿