2012年4月20日金曜日

文明への道(前7000-4000年)(2)土器新石器時代



 『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・42頁
     マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
     朝倉書店

 『文明への道

 「文明への道

 『(前7000-前4000年)
 「(前7000-前4000年)

 『土器新石器時代
 「土器新石器時代

 なにかの機会に偶然に少し焼けた土器ならば、

 無土器新石器時代の遺跡からもまれにみつかることがある。

 しかしながら、続く土器新石器時代には、

 土器は非常に一般的なものになった。

 そのおかげで考古学者は、

 それ以前は石器の型式を頼りにしていたが、

 今度は土器を使って地域ごとの文化を明らかにできるようになった。

 装飾つきの土器は石器よりもはるかに流行に敏感であったから、

 文化の類似、時代的変化などもよリ的確に反映しているわけである。

 ぐにやぐにやで柔らかな粘土を、熱を加えて、固くして水も通さず、

 事実上壊れもしない土器に変化させるプロセスは

 ほとんど手品のようなものである。

 チャユヌやガンジ・ダレの人々は

 前8千年紀にすでにこの技術を知つており、

 容器や小さな土偶をつくっていた。

 無土器新石器時代には入れ物としては、

 石製か木製のもの、あるいは篭(上塗りをしたり、

 天然アスファルトを貼ったりすることもあった。

 先土器新石器時代B期の白色容器に代表されるような

 石膏・石灰製容器を使うのがふつうであった。

 しかしながら、

 前7000年頃までに土器は近東全域に広がっていた。

 一定地域の一定時期の人々は

 限られた種類や型式の土器しかつくらなかった。

 そのため、小さな土器片でもみつかれば鑑定可能である。

 一地域の土器の時代的変化を他の地域の土器型式の変化と

 比較することによって、

 考古学者たちは多くのことを明らかにしてきた。

 こうした研究によって、

 土器片からそれがみつかった遺跡の年代を決めることもできる。

 その結果を、

 さらに短い期間におこった様式上の変化に関する情報とあわせることによって、

 相対編年ができあがっていくのである。

 これは,放射性炭素年代よりも役立つことが少なくない。

 土器群が似ていれば、

 各々の集団が緊密な関係をもっていたとみることができる。

 明らかに他地域から搬入された土器は、

 土器自体ないしその中身が交易・交換されたのだと解釈できる。

 土器の研究は、文字が現れるより前の時代の社会を研究する上で、

 もっとも有効な方法の一つである。

 もちろん、

 歴史時代についても考古学者にとって貴重な手がかりとなることに変わりはない。

 肥沃な地域の周辺山麓部のほか、

 無土器新石器時代にはトルコやイラン高原の資源を利用し始めた集団もいたし、

 メソポタミアの河川流域に集落を構えたものもいた。

 この時期以降、

 メソポタミア平原がレヴァントやパレスティナよりも重要な地域になっていく。

 レヴァント、パレスティナは以前にめざましい発展を成し遂げた地域であったが、

 影響力は低下していった。

 《南イラク湿原地帯
 「南イラク湿原地帯

 言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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