日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年2月26日日曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(10)《ナトウーフ期と同時代の諸文化》
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・27~30頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
ナトウーフ期と同時代の諸文化
ザクロス山脈およびその山麓部の文化については、
ナトウーフ文化ほどにはわかっておらず、
調査された遺跡もごくわわずかしかない。
サグロスの遺跡でみつかっているフリント石器は
レヴァント地方のものと似ており、
さまざまな動植物を利用していた狩猟採集民が残したものと考えられる。
しかしながら、
磨石の利用や開地への集落の移動は西方の地域よりも遅れて始まったようだ。
北東イラクの開地遺跡、サウイ・チェミでの調査によれば、
前1万年頃には、この遺跡の人たちも磨石を用い、
円形住居に住み始めたようである。
レヴァント地方のナトウーフ文化同様、
墓には個人的な装飾品などを副葬していた。
シャニダールではこの時期の墓地がみつかている。
この洞窟はもっと古いネアンデルタール人骨で勇名なところだが、
この墓地からは26基もの墓が発見された。
このなかには1500もの小さなビーズを頭にまいた子供の墓や、
フリントの刃を骨製の柄に天然アスファルトで装着した
ナイフが添えられられていた女性の墓などあった。
シャニダール洞窟に埋葬されていた成人人骨には、
子供の骨がともなっていることがしばしばあった。
これを人身御供と考える人もいる。
ザウイ・チェミからは一群の奇妙なものが出土している。
15頭分のヤギの頭骨、17羽ほどの大形の猛禽類(ほとんどがオジロワシ)の
骨がまとまって出土したのである。
鳥骨の大半は翼のもので、しっかりくつついているものもいくつかあった。
骨についている傷をみると、翼は切り落とされたものらしい。
鳥の翼とヤギの頭を身にまとってなんらかの魔術的儀礼が
とり行われていた可能性もあろう。
もっと時代は後になるが、
チャタル・フュクの壁面にそうした情景か描かれている例がある。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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