日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年2月19日日曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(4)
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・18~27頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
初期農耕牧畜民(前1万2000~7000年)
《海水面の変化》
こうした地形は数十万年という年月の間に形つくられてきたものだが、
決定的な変化がおこったのは最終氷期の末である。
氷河期には巨大な氷原が極地をおおっており、
海水を相当量ためこんでいたために海水面は現在よリも100m 以上低くなっていた。
それが1万6000年ほど前に上昇し始めた。
近東の海はほとんどの地域で急に深くなっているため、
海岸線の変化はそれほど大きなものではなかった。
しかし、ぺルシア湾地城では浅瀬がつづくから
タウルス、ザグロス山脈から流れてくる川は
以前よりずっと海に捜近することになった。
南メソポタミアとエジプトの三角州地帯ができあがったのも、
海水面がほぼ現在の高さに落ち着いてからのことである。
海水面の上昇は急速でおおよそ100 年にl m 高くなっていき、
前4000年頃に現在のような水位に達している。
それ以後はせいぜい1-2m の変化しかない。
こうした急速な水位上昇は結果として、
ぺルシア湾地城や南メソポタミア平原の古い遺跡を
分厚い堆積物の下に埋めこんでしまうことになった。
したがって、もし古い時代の遺跡を探すとするなら
地形がそれほど変化しておらず、
遺跡が容易に発見できる地域を調査する必要がある。
《近東の植生》
この地図では自然植生、
すなわち人間の干渉がなかったならばこうであったろうという植生を示している。
植生は降雨量の違いに左右されるところが大きい。
近東の多くの流域では、雨量は非常に少なく、砂漠が広がっていて、
人が住むのには適さない。
裁くの端は山麓部へとつながっているが、山すそ一帯の植生は草原で、
草や木が生えている。
一方、山腹には木々が生い茂る。
過去に人々が住んでいた地域は今日のものと一致している。
このことから、研究者たちは、ここ1万年間ほど、
気候にも植生にも大さな変化力がなかったものと考えている。
ただし、 過剰牧畜、森林伐採、農耕など人間による自然環境の破壊は別である
《参照》
「図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア」
「メソポタミア」
「シュメル=シュメール」
「ウワイト」
「シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書」
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