2012年2月23日木曜日

古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(8)《ナトウーフ期》



 『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・27~30頁
     マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
     朝倉書店

 古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民

 《ナトゥーフ期

 ナトゥーフ文化は前1万1000年から9300年頃まで存続したものだが、

 ケパラー文化よりも広い地域に広かった、パレスティナとレヴァント地方ではぼぼ全域でみられ、

 関連する遺跡はシリアのユーフラテス川沿岸、さらにその東部からも知られている。

 ナトゥーフ期には穀物を主要な食料資源として利川していたという証拠は、いっそうはっきりしてくる。
 
 ナトゥーフ文化の遺跡では、磨石、炉、貯蔵穴などがみつかるし、

 野生の二条フドオムギや一粒コムギ、あるいはカシの実、

 レンズマメ、ヒヨコマメ、エンドウマメといった野生の植物食料の炭化物も発見されている。

 野生の穀物の種子には圃い皮が密着していて、それらはあぶったりすったりしないと取れない。

 また、野生穀粒の穂軸(中軸)はもろい。

 これは非常に簡単にこわれてしまうもので、

 そうなると穀粒はバラバラになってしまい収穫が困難になる。

 人々が種子を播き、穀物を収穫することになれてくると、

 彼らはより丈夫な穂軸のついたものを選ぶようになった。

 その結果、今では穂軸の違いが穀物の野生種と栽培種とを区別する基準の一つとなっている。

 近東では2種類の野生コムギがみつかっている。

 一粒コムギとエンメルコムギである。

 エンメルコムギは一粒コムギと他の野生の草本が自然交配してできたらしい。

 収獲、植えつけの際に選択することによって、

 一粒系、エンメル系両コムギとも栽培種ができあがった。

 現在の六倍種コムギはおそらく、

 栽培種のエンメルコムギが別の野生種の草と交配して生まれたものと思われる。

 皮⊃まり穎が種子に密着しているか(皮性コムギないし穎性コムギ)、

 容易にとれるか(裸性ないし脱穀不要コムギ)によって

 いくつもの種類を識別することができる。

 オオムギにも皮性種と裸性種があるし、種子の小穂には二条、六条の区別もある。

 当然ながら,裸性つまり脱穀のいらない種の方が一般には皮性のものよりも好まれた。

 オオムギやコムギが野生種なのか栽培種なのかは形態だけみればわかることが多いが、

 他の可食植物ではこの違いの識別は簡単ではない。

 レンズマメ、カラスノエンドウ、エンドウなどのマメ類、イチジク、リンゴ、ナシなどの果物、

 あるいはカシの実、アーモンド、ピスタチオといった

 堅果類の場合は野生種と栽培種にほとんど違いがない。

 ただ、時代が下ると栽培種はより大形になっていく。

 多くの食用植物は考古学的証拠としてはめったに残らない。

 キャベツ、レタス、ホウレンソウ、タマネギ、ニンニクといった葉の多い植物、

 またメロン、キュウリ、キノコのような果肉類が考古学の発掘でみつかることはほとんどない。

 したがって,それらの栽培過程については推測するしかない。

 こういった理由から考古学者の関心は穀物栽培に集中してきている。

 現時点での証拠に基づくかぎり、

 穀物は最初に栽培化された植物の一つだといってよいが、

 マメ類もほぼ同時に栽培化された可能性が高い。

 穀物が他の植物と違う点として、

 乾燥させて、虫やげっし類がつかないようにしておけば

 長期間の保存がさくということもあげられる。

 熱したり煎ったりしておけば発芽を防ぐこともできる。

 こうした性質のおかけで、

 穀物は収穫に労力をつぎこむ時期とその見返りをえる時期をずらすことができる。

 したがって、値打ちはみなが認めるもので交換基準ともなるから、

 穀物はお金のような役目を果たすことができる。

 穀物を貯蔵し後で栽培するようになると、

 富の蓄積という可能性も生まれる。

 そうして、

 富に基づいて地位が決まるという社会を発震させることにもなるわけである。

 ナトゥーフ期の人々は野生の穀物や他の植物も採集していたのだが、

 他の動物から守るためにそれらを「栽培」していた可能性も高く、

 野生種のいくつかを植えていた可能性すらある。

 ナトゥーフ期の人骨の歯は摩耗が激しいが、

 それは食用植物の調理時に磨石を多用していたために

 食料に石粒が入っていたことの表れとされている。

 彼らの骨中のストロンチウムとカルシウムの比も肉食動物よりも草食動物に近く、

 食料の大半が植物で構成されていたことが示唆されている。

 多くのナトゥーフ期遺跡の住人も特定の野生動物を捕まえていた。

 エル・ワドナハル・オレン遺跡では出土した

 動物骨のうち80%がガゼルであったし

 ユーフラテス川流域のアブ・フレイラでも

 (ここはガゼルの自然同遊伊終点に位置していたらしい)

 65%の骨がガゼルのものであった。

 ヨルダン南部、ペトラ近郊のベイダ遺跡ではヤギが主要な獲物たった。

 一方,ヨルダン渓谷のアイン・マラッハの動物骨には

 ガゼル(44%)のほか、コジカ、黄ジカ、イノシシの骨があり、

 野生のウシ、ヤギ、キツネ、ハイエナ、ウサギも少量だが含まれていた。

 アイン・マラッハでは

 鳥、魚、カタツムリ、カラス貝、ヘビ、カメ、げっし類などもみつかっている。

 ただ、それらがすべて食用であったのではなかろう。

 植物の栽培化同様、家畜化は動物に影響を与えた。

 何世代も経るうちに骨に変化が生じ、

 それによって動物考古学者たちは野生種と家畜種の区別ができるようになってきている。

 家畜化の証拠はほかにもある。

 たとえば、

 自然生息地以外のところに動物がみつかること、大ささの違い、

 群れの構成の変化、種類間の割合の変化などがあげられよう。

 しかしながら、こうした変化には家畜化によるもののみではなく

 気候の変化で生じたものも含まれている可能性がある。

 最終氷期が終わると動物の多くは小形化しているが、

 これは、おそらく温暖化した気候に適応した結果であろう。

 しかし、一方で小さい動物の方が家畜化に好まれたということも考えられる。

 ナトゥーフ期の遺跡からみつかる動物骨には圧倒的に野生種が多い。

 しかしながら、アイン・マラッハ、およびその南西のハヨニム遺跡の前庭部からは、

 現代のオオカミよりも小さく、おそらく「人類最良の友」(今や最古の友ともいえる)

であった家イヌらしざ骨がみつか⊃でいる。

 これは考古学者の定量的な分析の結果わかったものである。

 アイン・マラッハでは同じ時期、前1万年頃の層から、

 3-5ヵ月の「小犬」と一緒に葬られた老女の骨がみつかっている。

 その骨がオオカミのものなのかイヌのものなのかはわからなかったが、

 その動物がその老女と緊密な関係にあったことは明らかである。

 ナトゥーフ期の遺跡からみつかる動物骨には、

 それ以前と違って、噛み跡が残つていることがよくあるが、

 これもイヌがいた証拠の一つといえる。

 しかしながら、イヌ自体の骨は比較的少ない。

 これは,イヌが食用ではなく狩猟用として飼われていたためと考えられる。



 北東イラク、パレガウラ洞窟ではイヌの顎骨がみつかっている。

 これは若干、時代のさかのぼる

 前1万1000年頃ザルジ文化のものとされてきたが、時代が下る可能性もある。

 ナトゥーフ期の人々が動物を飼育し植物を栽培していたかどうかは、

 専門家の間でも議論の分かれるところで、それを示す十分な証拠はない。

 《参照》

 「図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア」
 「メソポタミア」
 「シュメル=シュメール」
 「ウワイト」
 「シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書」

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