2012年2月16日木曜日

古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(1)



 『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・18~27頁
     マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
     朝倉書店

 《古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
 《古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
 古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民

  初期農耕牧畜民(前1万2000~7000年)


 《遠い過去》

 過去に関する証拠は断片的である。

 考古学的証拠として残るのは、人類の活動のほんのわずかの部分でしかない。

 大部分は不明で知りえないままになっているのである。

 だが、そうして残ってきた証拠によれば、人々は何千年もの間、

 いくつかの点でほとんど変わっていないことに気づく。

 たとえば、先史時代の人々にも、

 今の私たちと同じ感情や動機といったものが備わっていたことであろう。

 そうした特徴は人間を動物から区別するものであり、

 長い進化の道のりにおいて、ある時点で発展したものである。

 実際には、人間がもっている特徴の多くは、動物の世界にも共通点がある。
 
 たとえば、アりやイモムシ、アリマキなどは「都市」をつくって生活しているし、

 人間のように状況に応じて社会的な役割を変えようともする。

 しかし、人間がこれまで発達させてきたほど多彩な技術を身につけている種は他にはいない。

 動物でも重要な情報なら伝達するコミュニケション・システムを多少はもっているけれども、

 人間の会話能力というのは、

 みるからにどうでもよいことから必要不可欠の知識に至るまで、

 実に幅広いことを伝達しうるものなのである。

 また、動物によっては簡単な道具をつくったり、使ったりできるものもいるが、

 人間は、それなしでは生きられないほど、道具に頼りきっている。

 会話能力も道具づくりも文化を通して伝えられていく。

 つまり、前の世代から学んでいくわけである。

 文化が生きていくうえでいかに役立つものだったかは、

 今から3 万5000 年以上も前、

 後期旧石器時代が始まるまでに人類が実に広い地域に拡散していたことを

 みれば明らかである。

 一般に、石器時代人といえば、皮の服を着て洞窟に住み、

 棍棒を振り回しているというイメージが湧くが、これは偏った見方である。

 実際には、彼らはたいてい小さな集団をつくって住んでいたのだし、

 木の根、木の実、葉っぱ、イモムシなどをとって生活していたのであり、

 大きな動物を捕まえる方が少なかったのである。

 こうした生活様式は世界中に広がつており、何十万年もの間、うまく機能していた。

 現在でもぞういう地域はたくさんある。

 ところが、約1 万2000年前、最終氷期の終わりに海水面が上昇を始めると、

 近東の人々は新しい食料調達法をみつけだした。

 それは、まず動植物の栽培・飼育、ついでその馴化であった。

 このやリ方は今ではあまりにも一般的すぎて、

 これ以外、人が生きていく術はないのではないかとさえ思われる。

 農耕は近東で発展した後、またたく間にヨーロッパ、アフリカアジアへと広がった。

 それから、わずか2000 -3000 年の間に、

 何百万年も狩猟採集を続けてきた人々が定住村落民へと変容してしまったのである。

 農耕牧畜が始まると、他の面でも重要な変化が生じた。

 家は恒久的なものになり、村落を形成するようになったし、

 人々は新しい資源を使って新しい技術を閉発するようになった。

 金属加工、土器製作、石の彫刻などがそれである。

 社会組織も徐々に新しいものになっていき5000 年以上も前に、

 ついに都市、支配者層、国家宗教、文字体系といった現代文明の基本要索がでそろったのてある。

 農耕、都市という生活形態は近東からヨーロッパへ伝わり、

 そこでギリシア・ローマを経て現代文明の部を形つくるようになった。

 旧世界の他の地域でも農耕が発達したところはあるが、近東との関係はあまりはっきりしない。

 ただ、農耕という概念自体は究極的には近東から由来した可能性は非常に高い。

 農耕や複雑な社会組織は何千年か遅れてアメリカ大陸でも独自に生まれている。

 しかし、近東での事例は最古である点、

 そして現代文明の祖先となったという点でとりわけ重要である。

 「旧大陸における農耕の拡散」

 オオムギ、コムギの栽培化は前7000年よりも少し前に成し遅げられた。

 しばらくはメソポタミア周辺の丘陵地に限定されていた。

 しかしながらその2000年くらいの間に

 カスピ海沿岸部からインダス川流城の西部に分布が広がる。

 そして前5000年は、おそらく畜獣を使った犂式技術とともに、

 ヨーロッパ、エジプト、インダス全域にまでいきわたった。

 中国北部や東南アジアでは別の作物である雑穀と米が栽培化された。

 さらに続く2000 年間には、農耕は旧世界では、あたり前の生活様式になった。

 ロシアやアフリカ地域では依然として遊牧民が生活していた。

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