2012年2月22日水曜日

古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(7)



 『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・18~27頁
     マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
     朝倉書店

 古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
 古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民

  初期農耕牧畜民(前1万2000~7000年)
 
 《近東の初期集落

 近東における狩猟採集民から農耕牧畜民への移行は

 レヴアント地方、パレスティナ地方でもっともはっきリしている。

 過去40年の間、考古学者は野外調査をこまめにつづけ

 イスラエルで数多くの遺跡を発掘してきたのに対し、

 近東の他の国での調査例はごく少ない。

 こうした研究上の不均等を頭にいれてもレヴアント地方、バレスティナ地方は

 農耕牧畜の発展にとって決定的に重要な地域であったとみられる。

 近東で古い遺跡は洞窟、短期的な野営地であるか、または作業場などである。

 パレスティナのケバラー期前1万8000~1万1000年)の証拠が示すように、

 最終水期が終わるとより定住的な村落遺跡が一般的になった。

 ガリレー湖東岸アイン・グェヴⅠという1 万5000年前くらいの遺跡がある。

 ここでは円形の住居跡と思われる基礎がみつかっており、

 そこから穀物をすりつぶすための磨石がいくつか、石皿が一つ、

 そして穀物や葦を刈リ取ることによって

 できる特徴的な光沢がついた鎌刃などが出土している。

 ケバラー期の人々は野生動物の狩猟も行っていたが、

 特定の種類のものを捕まえることが多かった。

 たとえば、カルメル山のナハル・才レンという遺跡では、

 そこでみつかった骨のうち4 分の3 近くはガゼルのものであった。

 一方、ぺトラ近郊のワディ・マグマグ遺跡では

 80 %以上の動物骨が野生のヤギでしめられていた。

 しかしながら、磨石類が存在していることから、

 植物穀物が食料資源の重要な一部となっていたことがわかる。

 穀物は非常に栄養価が高いが外側には消化不能な固い皮がついている。

 人々は、それらを食べられるようにするために、

 あぶったり粉になるまですりつぶしたりした。

 あぶった場合には低温のお湯でオートミールかゆのように調理し、

 製粉したときには水とまゼて高温で焼いた。

 鎌はいくつかのフリント石刃を1 本の木材ないし骨裂の柄につけてつくられ、

 野生の穀物を収穫するのに使われたらしい。

 しかし穀物の茎を切ると実が落ちてしまう危険性があるから、

 熟した実を手でむしり取る方がおそらくよリ効率的であっただろう。

 同じようなフリント製石器は

 トルコやの同時期の遣跡でもみつかっているが、

 植物調理道具に対応する遺物はえられていない。

 「写真」

  凶暴な野生のウシは、

  もともと宗教的な目的、ないし肉、皮、骨、角をとる目的で

  家畜化きれたものと考えられている。

  しかし新石器時代はじめには、おそらく乳牛、役畜として

  飼われるようになっていた。

  雄ウシ(去勢されたもの)は今日でも、

  耕作、砕土、脱穀、伊車曳きなどに広く用いられている。

 「写真」

  穀物栽培は新しい技術を必要とした。

  たとえば、フリント製鎌刃や磨石を使った刈り取りや製粉作業である。

  そうしたもののいくつかはザグロス山脈考古学的遺跡に残る。

  しかし、木器を使って、集落から離れたところで行われた風選のような作業は、

  考古学的記録にはほとんど痕跡が残らない。

 《参照》

 「図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア」
 「メソポタミア」
 「シュメル=シュメール」
 「ウワイト」
 「シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書」

 『My ブログ』
 古代のメソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」
 
 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
        
 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状  

0 件のコメント:

コメントを投稿