日本の古代史(日本書紀・古事記等)には謎が多く、特に大化の改新(乙子の変)以前の歴史にはそれが顕著です。 日本の古代の歴史を解明するためには、古事記、日本書紀など日本の古代史料は元より、朝鮮の三国史記・三国遺事&中国の魏書倭人章などとともにインド、メソポタミア、ギリシアなどの古代史料までも遡り、また日本語にはシュメル語、ギリシア語、サンスクリット語、パーリ語、マレー語等が包含され、沖縄語、薩摩語、大隈語、また関西弁、河内弁、東北言葉など多岐多様にわたっていますこれらを基にして言語復原の手法で古代史を解明します。
2012年2月27日月曜日
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(12)《新石器時代の村》
『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・28頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店
古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民
《新石器時代の村》
「新石器時代の村」
近東の村の生活は、
新石器時代から19世紀後半まで、
ほとんど変わっていなかったように見える。
しかし、古い時期についての私たちの知識は、
有機物がめったに残っていないから、
ほとんどが石器や骨器、
建物跡に基づいたものでしかない。
死海近くのナハル・へマル洞窟は非常に乾燥していたため、
さまざまな遺物が保存されており、
織物、篭類の破片、
木製品やビーズなどが出土した。
当時の宗教生活を復元するヒントになるような遺物も残っていた。
ただ、踊りや神話なども豊富にあったに違いないが、
それらについては今では知りえない。
写真:色を塗られた石製仮面
ナハル・へマル遺跡から出土、
なんらかの儀式に使用されたものかもしれない。
ナハル・へマルの遺物はもともと、
神殿かなにかの宗教的機関に属していたものと考える研究者もいる。
図:もっと古い住居は丸い小屋で、地下に堀こまれていた。
これは、北イラクの原新石器時代の遺跡、
ケルメス・テレの例である。
それらの住居は単なる休息の場でなく、
集団の精神生活の中心地としての役割も果たしていた。
石と漆喰でできた柱、
および、廃屋の床面におかれていた人間の頭骨によって、
この家でかって行われた儀礼がどんなものであったかが知られる。
写真:ナハル・へマル出土の骨製ホックないしバックル、
および、木器類、石器・木器には
留め針、縫い針、錐、やじり、槍や銛先などがあった。
写真:ナハル・へマル出土の鎌
天然アスファルトを接着剤に使って、
フリント製の石刃を木製の柄に取り付けている。
草を刈るのに使われていた可能性がある。
写真:イェリコ出土の石製乳鉢・乳棒
これは、食料の下ごしらえから顔料の制作まで、
さまざまな用途に使われた。
類似した道具はナトウーフ期以降、
イスラム期まで使われていた。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『検索』
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