2012年2月27日月曜日

古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民(11)《原新石器時代》


『出典』図説世界文化地理大百科:古代のメソポタミア・27~33頁
マイケル・ローフ著・松谷敏雄監訳
朝倉書店

古代のメソポタミア:初期農耕牧畜民

原新石器時代

レヴァント地方ではナトゥーフ期の次の時代を

原新石器時代ないし先土器新石器時代A期と呼んでいる。

原石石器時代の遺跡はナトゥーフ期のものや、

後の無土器新石器時代(先土器新石器時代B期)のものよりも少ない。

おそらく、これは開発による土地の疲弊と降雨景の減少で自然の恵みが減り、

人口の減少したせいだと思われる。

そうして、後に栽培植物、家畜動物に依存するようになっていったのたと思われる。

この時期でもっとも注目すべき遺構は、ヨルダン渓谷イェリコ遺跡でみつかっている。

ここでは前9000年頃には、

大きな泉の脇で集落が成長してきていた。

人々は直径5mくらいの円形住居に住んでいた。

こうした住居は、前のナトゥーフ期同様、一部、地下に堀りくぼめられており、

短い階段でなかにおりていくようになっていた。

壁は手づくりのレンガでできていた。

それらは、上面が丸みをおびていて、粘土を日干しにしてつくったものである。

日干しレンガは今日でも近東では重要な建築材料となっているが、

これが今までわかているかぎり、

これが今まででわかっているかぎり、最古の例である。

日干しレンガには数多くの利点がある。

どこでも手に入るし、つくるのも簡単で、使うのも楽だ。

構造的にもしっかりしているし、断熱性もある。

ただ、水にふれるとすぐ溶けてしまうから、

毎年ていねいに手入れする必要がある。

したがって、一つ建物が壊れると、レンガの再利用はせず、

そこを平らにならして、その上に新しい建物をたてることになる。

こうして、建築がくり返されると丘ができ、

それが近東でももっとも典型的な形をした遺跡となるのである。

アラビア語ではこれをテルといい、

ペルシア語ではテペ、

トルコ語ではフユクという。

イェリコの原新石器時代文化層には約25の建築層が重なっていて、

高さ10mの丘を形成している。

この時期にはご大きな石壁と塔が壊れた建築物の上につくられている。

塔は壁の内側につけられていて、遺跡の西側にたっており、

壁はそこから北に南へと延びていた。

もし壁が、泉のある東部を除いて集落を全部囲っていたとすると、

イェリコの遺跡は3-4haの面積を占めることになる。

人口の見積りは400人から3000人まで可能だが、

1500人くらいというところが妥当だろう。

壁は1万トン以上の石を使ってできているから、

そのためには多大な労働力だけでなく、

相当な政治的な計画性、組織が必要だったはずである。

そうした壁や濠、あるいは塔の建築目的ははっきりしない。

当初は外敵の侵入に対する防御施設と考えられたが、

洪水に対する備 えたったことも考えられる。

イェリコの原新石器時代層からは、

栽培植物についての証拠もえられている。

皮性二条オオムギの穀粒が六つ、

エンメルコムギの穀粒が二つ、

さらにマメ、イチジクの種などが発見されている。

しかし、それらを放射性炭素年代測定にかけたり、

あるいはもっと類例がみつからない限り、

後の時代からの混入という可能性は残る。

ネズミやアリがもちこんだのかもしれない(そんなことはないと思うが)。

イェリコで出土している動物骨は家畜種というよりは、野牛種である。

それにガゼルが多くて今年やヒツジが少ない。

このパターンは、狩猟を行っていたそれ以前の時期と共通するもので、

次の新石器時代、

つまり、ヤギやヒツジを群れで飼うようになった時期のものとは異なっている。

イェリコがなぜ栄えたのかはっきりしない。

泉でえられる豊富な水を使って植物栽培がなされていたのかもしれないし、

周辺地域の中心地という地の利を生かして

死海でとれる塩や天然アスファルトで商売していたのかもしれない。

東部ユーフラテス川畔にあるテテル・ムレイビト

ナトゥーフ期から無土器新石器時代にまたがった遺跡である。

ここでは円形ないし楕円形の住居が

原新石器時代の古い時期から後期まで連続的にみつかっている。

なかには、一部屋士なく、

長方形の部屋がいくつもつながった建物も発見されている。

これは。

社会組織が複雑になってきたことの表れとされている。

原新石器時代層出土の動物骨によれば、

人々は野生のロバ、ガゼル、ウシを狩っていたことがわかる。

植物では野生の一粒コムギ、野生オオムギ、レンズマメ、ニガソラマメなどが

食用となっていた。

おもしろいことに、

野生の一粒コムギは現在この地域には生育していない。

したがって、テル・ムレイビトではそれらが栽培されていたのかもしれないが、

野生一粒コムギの当時の分布が現在のものと同じではなかった可能性もある。

『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』 

『検索』
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《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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